宗教の社会的役割

日本において、宗教は比較的語られることの少ない社会的側面と言えるかもしれません。しかし、だからといってその影響が少ないというわけではありません。いわゆる「常識的な」道徳観のもとで教育されたという人、仏教やキリスト教系の学校で学んだという人など、私たちの背景は様々ですが、育ちや学習の過程で身につけるこのような行動規範や価値観のルーツを探るとき、宗教を省くことはできないのではないでしょうか。

 

日本の歴史を振り返ってみても、宗教が社会に果たしてきた役割は多大なことが分かります。たとえば、「和を以って貴しと爲し」で始まる聖徳太子の十七条の憲法は神道と仏教の思想をベースに行政秩序が守られるために制定された道徳的規範ですが、私利を排し、公正に訴訟を裁くように、と行政職にある者に訓示しています。聖徳太子はさらに、薬と食の養生を行う施薬院、病気の治療を行う療病院、高齢者や障害者に救済として福祉を提供する施設である悲田院を 、仏教の慈悲の思想に基づいて設立しました。

宗教に代表される特定の価値観は人間に力強い動機を与え、その思考や行動を産み出します。このことはさらに、個人と社会の間に存在する相互作用も形作っていきます。

 

人間同士の関係を強化し、改善するための精神的な教えは世界中に見られます。これらをどのようにして対立の和解や社会の調和に役立てることができるのでしょうか?宗教と世俗、信仰と理性、身内と他人などといった二項対立的な思考から抜け出し、建設的な共通点に向かって意識を集中させるにはどうすれば良いのでしょうか?

 

私たちは、社会生活における宗教、伝統、習慣の役割、またそれらにおける歴史、教え、行動様式などに対する理解を深めることで、視点や思考の違いの間に橋をかけ、疎外感を取り除くことができると考えています

日本のバハイ共同体は大正時代に生まれた。ここに写っている東京の女性たちはアブドル・バハに手紙を出し、書簡を受け取った。この頃、アブドル・バハは「日本は土壌に手をつけられていない農園のようである。このような土壌には偉大な能力がある。」と表現した。