「格差社会」などの言葉で表現される社会の分断が度々メディアで取り上げられるようになり、しばらくの時が経ちました。振り返ってみると、経済面にとどまらず、世代や価値観の相違などに起因するアイデンティティの分断を私たちは目の当たりにしてはいないでしょうか?新しい視点に触れる機会が少なく、他者への理解が困難になっていないでしょうか?
社会の機能を維持させ、発展させることは、それぞれが個人の生活を全うすることと互助の関係にあります。考え方やライフスタイルの多様化が進むにつれ、社会的なまとまりや調和を促進するような指針が必要になってきているのではないでしょうか。このような多様なアイデンティティが断片化し、一人歩きすることなく、十分に認知され、社会全体の調和の中で機能するにはどうすればいいのでしょうか。この問いかけにこたえるためには、さらに以下のようなテーマを探求する必要がありそうです:
自国の特性、遺産、価値観といったものを認識しながらも、様々な世界観にも敬意を払い、同等に受け入れるようなアイデンティティを育むにはどうすればいいのか? それぞれ背景の異なる私たちのために、社会はどのようにして交流の機会や相互理解を創出するのか? 個々の国家的、民族的、または宗教的アイデンティティをより広い世界に通じる「人間としてのアイデンティティ」につなげるには何ができるのか?
一つの現実を捉える:
意見がわかれるような問題を考えるとき、政治などにおいては、議論を戦わせることで答えを導こうとする方法が現在では多く見られます。各々の意見は「違った」ものであるとみなされ、対立構造がある程度前提にされているとも言えそうです。このような答えの導き方では、「どの意見が強いか」や「誰が最も的を射ているか」に終始注目してしまい、信憑性ある情報に裏付けられた公益性が高い最適解に到達することなく問題の解決を先送りにしてしまうことが多くあります。
相反するものとみられがちな多くの視点は、実は「一つの現実」を違った角度や背景から見ることによって生まれている、という了解のもとで持続的に対話を進めるにはどうすればいいのでしょうか? 全体の理解が進歩すべく、勝者も敗者もなく、事実に裏打ちされたすべての視点に価値を見出せるような話し合いの場は、どうすれば創れるのでしょう? 繊細な事柄や複合的な事柄を過度に簡略化したり、それらを看過せずに、協議を進めるにはどのような能力開発が必要なのでしょう?
私たちは、様々な分野で活動されている方々と共に、公益のための対話の持つ性質とこの対話が社会における絆にどのような影響をもつのかを問い、検証しようとしています。

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